不便と感じる頻度
私たちが普段「デザイン」と聞いて想像する「オシャレなグラフィック」は、
厳密にはデザインの範疇ではない。
傘は「雨が上空から降ってくる」という問題に対して、
「手で持てる軸の先に膜をつけて水滴をさえぎる」という
解決の糸口を見出したものである。
ここまでがデザインであって、
膜の模様や柄の形状のことはデザインとは呼ばない。
靴は「地面がゴツゴツとして歩きにくい」という問題に対して生み出された
「分厚い靴底と足を布のバンドで固定して脱げないようにする」という解決策である。
傘と同様、表面の生地の柄や素材は、デザインとは呼ばない。
つまりデザイン力とは問題解決力のこと。
問題を発見し、解決の糸口を示す能力なのである。
絵心、創造力、センス、クリエイティビティは一切関係ない。
デザインとはあくまでも「問題解決」という目的の追求であり、
その目的を究極的に突き詰めていくことで、
結果的に無駄が削ぎ落とされた、
「美しいもの」ができてしまうことがある、ということだ。
一方で、アートとの定義とは何だろうか。
例えばゴッホの「ひまわり」を考えてみると、
明らかにデザインとは真逆をいくものであることがわかる。
センス、個性、絵心。
それらが凝縮した、「自己表現」そのものである。
「問題解決」と「自己表現」。
その意味するところにおいて180°異なる「デザイン」と「アート」であるが、
なぜ日本ではこれほどまでに互いに混同されてしまうようになったのだろうか。
本来「デザイナー」は美術系大学を出ている必要はまったくない。
質の高い課題を発見し、解決の糸口を提示することが出来さえすれば、
簡単な絵が描ければ十分なのである。
実際世界のトップのデザイナーの中には
絵心が皆無と言えるひとが数え切れないほどいるが、
彼らの「デザインカ(問題解決力)」はやはりズバ抜けている。
デザインとセンスは一切関係ないと述べてきたが、
もし「デザインのセンス」と呼べるものがあるとすれば、
それは「不便と感じる頻度」ではないか。
もしあなたが今日一日過ごして、一度もイライラしていなかったとしたら、
それは危険信号である。
「使いづらい」「見づらい」「わかりづらい」。
この不便の一つ一つにその逆張りとしての「こうすればいいのに」が必ずあるからだ。
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